リンク集 RSS/ATOM 記事
ホーム >>
リンク集 >>
RSS/ATOM 記事 (29643)
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



中央図書館が入っている足立区生涯学習センターの名称である「学びピア」の「ピア」とはどういう意味か。(足立区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/5/6 15:37:13)
from レファレンス協同データベース (2025/5/6 15:37:13)
「学びピア」は公募により決定した愛称だということはわかりましたが、その由来や「ピア」の意味についてわかる資料は見当たりませんでした。回答プロセス:1 足立区の資料にあたる『足立区例規集』令和4年5月第2巻(足立区総務部総務課編 足立区 2022)を見る。p.1992「足立区生涯学習センター条例」に「名称 足立区生涯学習センター 位置 足立区千住5-13-5」とあるが「学びピア」という言葉の記述はなかった。2 収集しているパンフレット等にあたる「学びピア21 足立区中央図書館 足立区生涯学習センター」([2002])「学びピア21施設案内」(生涯学習センター 2016.4)「足立区生涯学習センター施設ご利用案内」(あだち学びときずな創造事業体)『生涯学習空間』通巻27(ボイックス 2001)「足立区中央図書館」(〔2000〕)いずれも「ピア ...
【資料1】~【資料8】に記述がありました。回答プロセス:1 足立区資料の棚を見る【資料1】近藤勇(新撰組)が慶応4(1868)年旧暦3月13日に、名主金子左内宅に来て屯所を構えてから、流山で出頭捕縛されるまでの調査内容。写真多数あり。p.124「主な参考文献」に金子家文書、過去帳、近藤勇写真の記述あり。【資料2】p.115「新選組と五兵衛新田」の項には「現在も「佐内家」と呼ばれている綾瀬4丁目15-21の金子家で勃発した」「滞在期間中五兵衛新田は不安と恐怖の坩堝にあった」「金子家は高額の出費に加え賊軍を匿ったとして官軍の厳しい取り調べを受けた」などの記述あり。【資料3】第99号(昭和51年5月)~第108号(昭和52年2月)に「五兵衛新田 金子家・新選組史料」(吉野宏著)の連載あり。第99号(一)の「まえがき」に「昨年金子家の土蔵から ...
千住から西新井大師(総持寺)へ行く道筋を「大師道」と呼んでいたらしい。詳しくわかる資料や地図を見たい。(足立区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/5/6 15:36:38)
from レファレンス協同データベース (2025/5/6 15:36:38)
千住から西新井大師へ行く大師道のルートは【資料1】【資料2】【資料4】に記述がありました。地図は【資料3】で確認ができます。回答プロセス:1 足立区資料にあたる『新修足立区史』下(東京都足立区役所編 東京都足立区役所 1967)p.748「大師道」に「東西南北から大師に集中する形になっている道で代表的なものは千住からのもの」とあり。【資料1】p.67「大師道と六阿弥陀道」に、代表的な大師道が紹介されていて「千住方面からのルート」があり、千住河原町で旧日光街道から分岐し西新井大師に至るまでの詳細なルートが書かれている。他に「小台・宮城方面からのルート」「鳩ケ谷・舎人方面からのルート」「花畑・保木間からのルート」の記述あり。p.68「西新井大師へつながる古道」の地図があるが、千住地域は載っていない。 ...
「なんといううららかな朝だろうよ 娘たちがかたまって 立ち話をしている そこだけがばかに明るい・・・」という詩の全文と作者を知りたい。昭和20年代の教科書に載っていたらしい。(足立区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/5/6 15:35:53)
from レファレンス協同データベース (2025/5/6 15:35:53)
詩のタイトルは「朝」、作者は山村暮鳥。詩の全文は【資料1】【資料2】で読むことができます。回答プロセス:1 『日本教科書体系』にあたる『日本教科書体系』近代編 第9巻国語(6)(講談社 1978)「凡例」から「昭和22年2月から9月までに発行された版本による」とあり。質問に該当する詩はなかった。2 自館図書館システムで検索〈教科書/詩〉『教科書掲載作品13000』(阿武泉監修 日外アソシエーツ 2008)収録対象は1949年から2006年発行の高校国語教科書。内容から引ける索引なし。『教科書でおぼえた名詩』(ネスコ編 ネスコ 1997)「うろおぼえ索引」を見るが「なんという/うららかな」は見あたらなかった。3 Microsoft Bingで検索〈なんといううららかな朝/詩〉で検索するが見つからなかった。〈なんといふうららかな朝/詩〉で検索す ...
明治から大正時代にかけて、戸籍がどのような様式で記載されていたかを知る資料を見たい。書籍・写真等で見られるか。(足立区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/5/6 15:35:03)
from レファレンス協同データベース (2025/5/6 15:35:03)
明治から大正時代にかけての様式の変遷について【資料1】~【資料3】にひな型や記載例がありましたが、写真が載る資料は見つかりませんでした。どの資料にも明治5年式戸籍については、現在では保存期間の経過により取得できないため記載例が省略されているという記述がありました。回答プロセス:1 自館図書館システムで検索〈戸籍/明治〉【資料1】「第2章 様々な戸籍の様式」の「1 戸籍の起源と様式(1)戸籍の起源と種類」から明治~大正時代にかけての戸籍には、明治5年式戸籍・明治19年式戸籍・明治31年式戸籍・大正4年式戸籍があることがわかる。明治5年式戸籍について「戸籍の保存期間が経過したため廃棄処分され、現在では取得できない」という説明もあった。明治31年式戸籍のひな型と例、大正4年式戸籍のひな型と例の記載 ...
虫などの特定の生きものに対し過剰なまでの恐怖心を抱く人がいるが、なぜ恐怖心を抱くようになったのかを知りたい。(足立区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/5/6 15:34:53)
from レファレンス協同データベース (2025/5/6 15:34:53)
特定の生きものに対し過剰なまでの恐怖心を抱く症状について記載のあった【資料1~3】を紹介した。回答プロセス:1 インターネット (最終アクセス日は2023年11月17日)Googleで〈恐怖心/虫〉と検索、検索結果から以下のページを見る。「虫嫌い」ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%AB%E5%AB%8C%E3%81%84)「昆虫に対する過剰な嫌悪感や恐怖心であり、『精神障害の診断と統計マニュアル』第5版(DSM-V)では明確な「恐怖症」と定義している」とあり。資料の所蔵を確認するが、足立区所蔵なし。MSDマニュアルプロフェッショナル版で「恐怖症」を検索。(https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB/SearchResults?query=%E6%81%90%E6%80%96%E7%97%87)「限局性恐怖症」の項に、「特定の状況または対象に対して、実際の危 ...
北千住にあった「丁清」という菓子屋について詳しく書いてある本はあるか。戦後の千住の旧日光街道沿いにあった駄菓子屋についても知りたい。(足立区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/5/6 15:34:14)
from レファレンス協同データベース (2025/5/6 15:34:14)
「丁清」については【資料1】に詳しい記述がありました。【資料2】では千住4丁目に「芋ようかん」を業種とした「丁清木村」(昭和53年)「丁清商店」(平成3年)が確認できます。 戦後、千住の旧日光街道沿いにあった駄菓子屋についての詳しい資料は見つかりませんでした。【資料2】で、千住五丁目に昭和五十三年まで「長島屋菓子店」という店があったことが確認できましたが、駄菓子の販売をしていたかはわかりませんでした。回答プロセス:1 「丁清」について足立区資料にあたる『千住生活史調査報告書』(足立区郷土博物館 2012)p.83「イモ屋」の項に「(前略)勝手でふかして、玄関を開けた一間で売っていた」とあり。店名などの記載はない。【資料1】索引から「芋屋」p.268を見る。(2)芋屋に「丁清」の項あり。千住4丁目にあり創業百 ...
雑誌『週刊ベースボール』2023年5月8日号に、プロ野球本拠地球場の収容人数が掲載されています。収容人数が一番多い本拠地球場は、阪神甲子園球場で収容人数は47,400人です。回答プロセス:自館の図書館システムでキーワード〈本拠地〉、分類「783.7」で検索する。雑誌『週刊ベースボール』がヒット、該当巻号から2023年5月8日号の特集が「球場物語2023」とあり、資料を確認する。p.5,p14~p.24,p.108~p.119に最新「STDIUM DATA」が掲載されていて、「開業年」「所在地」「アクセス」「収容人数」「サイズ」「芝」についてがわかる。参考資料:【資料1】『週刊ベースボール』2023年5月8日号(ベースボール・マガジン社),
【資料1】【資料2】【資料3】から「弘道」の由来は弘道小学校にちなんだこと、1996(昭和41)年1月の住居表示実施により誕生した町名ということが分かった。回答プロセス:1 足立区資料にあたる【資料1】p.181「弘道地区の移りかわり」に「現在弘道一丁目・二丁目といわれる町名は1996(昭和41)年1月から実施された地名である。(中略)町境はいりくんだ地であり(中略)そこで歴史のある弘道小学校の名をとって「弘道」と名づけられた。」とあり。【資料2】p.20「青井・弘道」の項「弘道の地名由来」「(前略)1996(昭和41)年1月に住居表示が実施され、この地域の子どもたちが通ってきた弘道小学校の校名にちなんで「弘道」という町名が誕生しました」とあり、弘道小学校の校名の由来も記載があり、「『論語』衛霊公篇の「子曰人能弘道非道弘人 ...
大正時代の銀座について記載のある資料を探している。当時の街並みや人々の暮らし、食べ物のことを知りたい。本のほかに広告や音声、映像資料もあるならば見たい。(足立区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/5/6 15:33:32)
from レファレンス協同データベース (2025/5/6 15:33:32)
大正時代の銀座の街並み、人々の暮らし、食べ物などについて記載のある資料として【資料1】から【資料13】を紹介した。当館所蔵の音声・映像資料には、大正時代の銀座の資料はなかった。回答プロセス:1 213の棚をブラウジング【資料1】銀座1丁目から8丁目、京橋、八重洲の様子が記されている。各丁目の項の見出しページには旧町名と河岸が記載されている。【資料2】「2 廊下のようなギンザ」p.50~p.55に大正10年前後のカフェーと食べ物についての記述あり。「4 どろんこの銀座」p.221~p.227には、大正10年春に銀座の車道大拡張のため街路樹の柳を全部抜いたこと、大正2年になっても泥濘さわぎがあったという記述あり。【資料3】p.18~p.35の「ぎんざの推移」に「銀座1丁目から8丁目の大通り商店の変遷」あり。大正10年~昭和29年までの ...
execution time : 0.313 sec