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【参勤交代・江戸三度飛脚の移動経路・距離について】 1.加賀藩の参勤交代で、上街道から中山道を経由するルートの移動距離が660kmで、東海道を経由するルートの移動距離が600kmとあるが正しいのか。距離が逆に書かれているものもある。2.江戸三度飛脚の移動距離が570kmであると書いている小説があるが、下街道経由のルート(約480km)が最短ではないのか。3.忠田敏男『参勤交代道中記』では、参勤の93回交代97回と記されているが、参勤と交代の回数に差が生じるのはなぜか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:36)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:36)
1.『参勤交代道中記』(118310786)では、「第五章一(一)参勤交代の三コース」p.124-126に中山道経由660km、東海道経由600㎞と記されている。2.江戸三度飛脚の移動経路は、以下より下街道を利用していることを確認できる。・『江戸三度』(118570426)p.8「江戸三度の飛脚の歩の規定は金澤と江戸との間所謂下街道の道程を百二十里半即ち四千三百三十八丁、一時に付き平均二里八丁内外と決定してあった」と記述されている。・『三都と金沢』(11931499)p.72「金沢~江戸間百二十里を下街道を経由して往来した」と記述されている。なお、下街道経由で移動した場合の一般的な距離は、120里前後(約480km)で記されている(上記『参勤交代道中記』では119里余り、『江戸三度』では120里半、『三都と金沢』では120里と記載されている)。質問者が読んだ資料 ...
【大谷廟所について】 大谷廟所について書かれた資料があれば確認したい。西町あたり、昔の後町というところにあったと聞いているが、東別院が火災に遭ったため寺には資料がない。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:36)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:36)
『金沢案内記』(118582857)の冒頭に写真があり、p.34に西町の大谷廟所についての記載がある。『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)p.516に「存如上人廟所」の項目があり、これが大谷廟所に相当するものと考えられる。後町については、『金沢古蹟志 第三編』(119865893)p.44や『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)p.141に記載がある。
【東京オリンピックの聖火リレーについて】 昭和39年の東京オリンピックの聖火リレーで、ランナーが石川県内を通ったルートを知りたいが、ルートの書かれた地図などはあるか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:35)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:35)
聖火ランナーは昭和39年9月30日から10月1日にかけて県内を通過している。地図にルートを明示したものは確認されていないが、新聞記事の情報が詳細なものであると思われる。『北國新聞』昭和39年9月30日号~10月1日号に、ランナーの通過場所と通過予定時刻が記されている。(加賀市)福井県境牛ノ谷峠(11:35)→熊坂保線区事務所(11:44)→三巴商事KK(11:53)→熊坂第2切り通入口(12:00)→大同KKチエン(12:08)→変電所陸橋(12:16)→黒瀬交差点(12:24)→中代バス停(12:32)→西島バス停(12:43)→桑原バス停(12:52)→モーテル北陸(13:00)→加賀瓦協組(13:07)→(これより小松市)北陸建材KK(13:16)→矢田野バス停(13:23)→粟津駅前(13:32)→矢崎バス停(13:41)→今江バス停(13:51)→松陽中学(13:59)→北陸交通(14:06)→小松砂業検問所(14:14)→平面バス停(14:23)→(これより寺井町)加賀園芸 ...
『金沢市史 現代篇 下』(119562680) (1969年5月発行)p.46-83 第一章 三、都市建設と都市計画p.57昭和の都市計画「当時の記録によると、この広い道路は昭和二年から三年にかけて完成し、総事業費七九蔓延、幅員は十九.一~二一.八二メートル、延長一、〇五〇メートルとなっている。第一期事業としては、次の三線が計画され現在完成している。金石街道昭和一〇~一一年、停東場・二万堂線昭和一一~一五年、富本町・三ツ口新町線昭和一五~二一年。金石街道は郊外電車を通じたために、整備拡幅したもので、金沢付近では極めて珍しい直線的なものであるが、市街地の部分は狭かったからこれを拡幅したものである。未完成の部分が長田町以北に残されていたけども、これは戦後になって、三十五年から着工し、三十九年ごろになってようや ...
【1、清風荘について2、小森直夫氏について】 1、東山にあった、清風荘が火事になった時期が知りたい。2、小森直夫氏が、昭和36年ごろ社長をしていた米関係の会社名が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:35)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:35)
1、北國新聞データベースサービスにて、検索。1996年5月14日夕刊1面・7面、15日朝刊31面、18日朝刊31面等に該当記事あり。 『北國新聞縮刷版 No362 平成8年5月号』(119888520)p.493、499、531、665で、確認。1996年5月14日午前3時10分ごろ火事がおきたと記載あり。2、Googleで「小森直夫」を検索すると 「ののいち地域辞典でじたるbook」というサイトにたどり着き、第3章第4節に石川県米穀株式会社々長 小森直夫との 記載あり。 【URL】http://tiikijiten.jp/~digibook/20y_ayumi/keitai.php?no=0004(2018.4.17参照)(同一の紙資料の所蔵あり。『野々市町二十年のあゆみ』(119563177))フルテキストで「石川県米穀株式会社」と検索。『石川県米史』(118479453)推定折り込み写真p〔6〕に相談役(初代社長・二代会長) 小森直夫との記載あり。
【言葉の読み方について】 次の言葉の正しい読み方を知りたい。①「金川丸」・・・「カネカワマル」か「カナガワマル」か。②「日本国郵便蒸気船会社」・・・「ニホンコク」か「ニッポンコク」か。③「租税頭」・・・「ソゼイノカミ」か「ソゼイカミ」か。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:35)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:35)
質問者は明治時代ごろの事柄について調べているとのことだったので、その時代の事柄が調べられる資料を当たっていった。①『船舶百年史』の索引に「金川丸」の項目があった。『船舶百年史 前篇』(112609908)p.30に金川丸の写真が掲載されており、「Kanagawa maru」と記載されていたため、「カナガワマル」とわかる。②『国史大辞典 11』(111178959)p.157に「にほんこくゆうびんじょうきせんがいしゃ」とある。『日本交通史辞典』(112465316)p.709にも「にほんこくゆうびんじょうきせんがいしゃ」とある。よって、「ニホンコク」が正しいとわかる。③『国史大辞典 8』(11089585)を調べてみたが、「租税頭」の項目はなかった。国立国会図書館インターネット資料保存事業(WARP)内収録の、日本法令索引〔明治前期編〕 ヨミガナ辞書p.190に、「租税頭」 ...
中世の金沢について調べているとのこと。質問者がすでに閲覧したことのある資料は以下の通り。『稿本金沢市史 市街編第1』(119562840)p.20-22に金澤庄の地域と起源について記載がある。『金沢市史 通史編1 原始・古代・中世』(119881707)『金沢市史 資料編1 古代・中世1』(119623023)『金沢市史 資料編2 中世2』(119741359)各巻の索引や細目次を見ても「金沢庄」の記載を見つけられなかった。『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)p.196の4段目に「金沢庄」の記載がある。上記の資料をふまえて、「金沢庄」というキーワードで改めて所蔵検索を行い、次の資料を提供した。『加賀志徴 下編』(118511659)p.284金澤庄『加南地方史研究 第49号』(119757831)p.30-39「「小松」という地名の由来と小松寺について(四) -付「金沢庄」並に「金沢寺」の事」という項目 ...
【昔の火の見櫓について】 明治時代の下堤町(しもつつみちょう)5は現在のどの辺りか。また、その近くに火の見櫓があったと聞いたが、どこにあったのか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:34)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:34)
①明治時代の下堤町5が現在のどの場所かを調べる。『住居表示区域町名便覧』(11918000)p.38旧下堤町は、現在の高岡町と武蔵町とわかる。『金沢市住居表示新旧対照表 86-4』(11917852)p.1153-1167『金沢市住居表示新旧対照表 86-7』(11917855)p.2068該当ページに下堤町5は見当たらない。旧下堤町55-5は、現在の武蔵町14-30の記載がある。『金沢市詳細図 昭和38年版』(118407249)p.47『金沢市住宅明細図 中央部版 平成29年版中』(118598006)p.186で、質問者自身がおおよその場所確認をした。②当時の火の見櫓について調べる。当時金沢市内に3か所の火の見櫓があり、そのうちの1つが下堤町にあったと聞いたので、その場所を確認したいとのことだった。『金沢市文化財紀要 146 金沢の共同井戸・洗い場・火の見櫓』(119622222)p.27-34に現在の火の見櫓(警鐘台)の一覧が記 ...
【金沢歩兵連隊について】 金沢連隊について調べており、歩兵部隊と砲兵中隊の編成が知りたい。『石川県史』に具体的な編成が記載されているはずである。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:34)
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『石川県史 現代篇1』(119871700)p.777「第五章 軍事」に大正~昭和の軍隊について記述があるが、軍隊の変遷が主な内容であり、編成についての記述はあまりない。『第九師団戦史』(119565331)p.13明治31年~40年の編制、p.15明治41年~大正14年の編制、p.16昭和15年~終戦の編制についてそれぞれ図が掲載されている。『旧第九師団山砲兵第九連隊史』(119566339)p.13-15「山砲兵第九聯隊満州派遣部隊(留守隊)編成表」、p.16「独立山砲兵第四聯隊創設編成表」、p.100-106「山砲兵第百九聯隊職員表」、p.117-137「沖繩「台湾転進」山砲兵第九聯隊将兵名簿」など、砲兵聯隊についての詳しい編成がわかる。『金城聯隊史』(119566052)p.355-357「歩兵百七聯隊編成表」など詳しい編成がわかる記述がある。
金沢駅付近の連続立体交差事業の事業概要を記したパンフレットは所蔵しているが、事業完了後の工事記録誌は確認できない(同事業は昭和53年度~平成3年度にかけて実施)。工事の日程や総事業費については、『鉄路有情 金沢駅開業百周年記念誌』(118368463)に記述がある。『金沢駅東広場工事記録誌』(119884763)には、連続立体交差事業について記された部分は確認できない。
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